農家との共存共栄からはじまった缶詰製造
【Q】沿革と事業内容を教えてください。
弊社の創業は1923(大正12)年。青果問屋だった創業者がはじめたタケノコの缶詰製造に遡ります。農家の方たちが豊作不作に左右されず、少しでも経済的に安定するように考えたときいています。以来、業務用を主力とし、缶詰・びん詰に加え、レトルト食品の製造・輸入・販売も手がけています。
半世紀ほど前に、当時子どもの数が多く安定した売上が見込める学校給食に販路を拡大しました。現在は全国の都道府県の学校給食と取引があり、弊社の売上の40%を占めています。
一番の売れ筋はうずら卵の製品で、シェアは国内トップの35%です。うずら卵の生産が全国一の愛知県三河地区に工場を設けて、缶詰、袋詰、チルド品の加工を行っています。外食や産業給食用にベトナムと中国からの輸入うずら卵も扱いますが、学校給食用はすべて国産を提供しています。(伊藤社長)
【Q】学校給食ならではの食の安心・安全への取り組みはありますか?
子どもが口にするものですから、食の安心・安全には一番力を入れています。O157(腸管出血性大腸菌感染症)をはじめ、様々な食の事件が起こるたびに工場の衛生面を強化し、商品規格書※などの情報もすぐ提供できる体制を整えています。
※商品規格書:食品のアレルギーや原料産地などの情報をまとめた仕様書
この体制を組み上げた転機は、2008年2月に起こしてしまった異臭事故です。北海道から九州・沖縄まで全国の学校給食用に缶詰や袋詰の加工をした水煮マッシュルームを提供していたところ、異臭が発生して多くの児童が体調を崩されました。新聞やニュースに取り上げられましたが、しっかりした説明責任を果たさなかったために信頼を失ってしまい、当時の天狗缶詰はつぶれるかというところまで陥ったのです。(伊藤社長)
失敗から学んだ改革とは
【Q】事故後、どのような取り組みで立て直しをはかったのでしょうか。
2009年に私が社長になり、最初に手がけたのは内部改革です。コンプライアンスの徹底と工場の衛生管理強化に全力を尽くす。どんなことにも「真摯に向き合う」という理念を掲げて体制を見直していきました。
事故の反省は2点。ひとつは本社、営業のクレームに対する意識です。当時、回収命令があっても徹底しなかった営業がいました。回収に行った先で、お客様がそこまでしなくていいとおっしゃった、その言葉に甘えてしまったのです。初動で自主回収を100%行い、お客様にきちんと説明をしていれば、異臭騒ぎが全国に広がることはありませんでした。以来、どんな些細な異変であっても、一度自主回収と決めたら徹底してすべてを回収しています。
もうひとつの反省点は工場の管理体制です。これまでは製品の異常を発見したとしても、どのように対処すべきか明確になっていなかったのです。現在は、何かあった時は誰に伝えるのか、伝達のフローを明確にしています。異常は必ず品質管理室へ届き、製造続行するのかやめるのか、判断がなされる体制へと見直しをはかりました。
『BtoBプラットフォーム規格書』の導入も、管理体制の見直しの一環です。製品の品質管理だけでなく情報管理も見直しが必要だったのです。(伊藤社長)
1製品につき規格書が13枚。増え続ける仕様情報をなんとかしたい
【Q】製品の情報管理には、どのような課題があったのでしょうか?
1,000種ほどある製品の商品規格書をエクセルで作っていましたが、当時は改訂の管理ができておらず、古い情報をお客様にお出ししてしまうことが絶えませんでした。
また、弊社の事故と前後して社会的にも食の安心・安全、衛生管理が厳しくなっています。取引先から提出を求められる書類も複雑化しましたし、管理する情報も増えます。規格書に項目を増やすときはエクセルのレイアウトが崩れないよう、1項目につき新規の紙を1枚という形で追加していきました。配合、製造工程、由来原料、遺伝子組み換え、アレルギーと、項目が増えるたび枚数も増えて、結果13枚に。重複も多くて見づらく、ファックスで送ったら「大量に送ってくるな」とお叱りを受けたこともありました。営業イメージもマイナスですし、更新作業にも手間がかかります。もっと簡単なものがほしいという声がありました。(藤井氏)