個店主義から、本部管理への転換で成功。「日本一の企業」へ歩みを進める~ダイニングファクトリー・人見洋二郎社長

飲食・宿泊2017.07.03

個店主義から、本部管理への転換で成功。「日本一の企業」へ歩みを進める~ダイニングファクトリー・人見洋二郎社長

2017.07.03

個店主義から、本部管理への転換で成功。「日本一の企業」へ歩みを進める~ダイニングファクトリー・人見洋二郎社長

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栃木県・宇都宮を中心に『九州男児』『鳥放題』など6業態を軸に、北関東、東北、甲信越エリアで約100店舗を展開する株式会社ダイニングファクトリー。

2004年の起業以来、個店主義で全国に他業種展開を続けてきたが、2014年7月期に業績が悪化してしまう。しかし、すぐに経営方針をチェーンストア理論に基づいた店舗展開に大きく転換し、現在では業績を回復させている。その後も、年間110%という着実な速度で成長を続ける同社。今回は代表の人見洋二郎社長に、経営方針の転換の狙いと、その後の成長について伺った。

目次

二十歳の若者が描いた10年刻みの将来像

【Q】起業されるまでは、何をされていたのでしょうか?

ダイニングファクトリー・人見洋二郎社長

色々なアルバイトを転々としていました。やりたいことも決まらないまま、夜な夜な友人と集まっては、「何かでっかいことをやろう」と漠然と話し合っている日々でした。

その漠然とした想いを形にするため、20歳の時に10年単位で達成すべき目標を決めました。30歳で起業して、40歳で上場、50歳で1000億円企業にして、60歳で1兆円企業にする。そして70歳になったときに、その業種で日本一になろうと。これは今でも会社の基本的な指針として残っています。

【Q】実際に起業はされたのは、27歳のときですね。

23歳で一部上場の企業とはどんなものなのかを知るため、不動産会社に就職しました。その時は起業を第一目標にしていたので、株式会社を作るために1,000万円を目標にお金を貯めていました。実際には予定より3年早く貯まったので、30歳を待たずに起業しました。

【Q】なぜ飲食業だったのでしょうか?

目標は1兆円の会社ですから、本当は飲食業でなくても良かったのかもしれません。ただ、どんな業種がいいかなと考えた時、自分が勤めていた不動産業界は産業が成熟しているので、今から参入するのは厳しいなと。そんな時、全国チェーンの大手居酒屋さんに行ってみて、「これならいけるんじゃないか」と思いました。いま思えば若さゆえの、単なる怖いもの知らずなのですが。

【Q】最初の業態はどのようなお店でしたか?

2004年12月に、宇都宮の西口に和食居酒屋を作りました。当初から多店舗展開を考えていたので、自己資金1,000万円のうち内装費などを抑えて、500万円で出店しました。料理もコストを下げるため、ほぼ冷凍食品がメインでしたね。


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