高度経済成長期の日本に、炒飯を広めたパイオニア
「炒飯の素」が誕生した1957年は昭和30年代初頭だ。当時の中華料理店は高級レストランで、炒飯も店でしか食べることができないご馳走メニューだった。そのため発売時は「中華たれのもと」という商品名で販売されていたという。(翌1958年に「炒飯の素」へ名称を変更)
「どうにか中華料理店の味を家庭で手軽に食べられないものだろうかと創業者が作り出したのが、“炒飯の素”です。弊社は元々、粉末ジュースなどを手がけるメーカーとして設立したので、粉末の配合や充填などの技術を持っていたのです」(常務取締役・小池昭一郎氏)
炒飯の素は、粉末複合調味料の国内第一号となった。吸湿を防ぐアルミ箔のラミネート包装も、業界に先駆けて考案されたものだという。創業時の社屋は東京・浅草にあり、アイデアを商品化する技術を持った町工場が周囲にたくさんあったのだ。
「当時は電気炊飯器がまだ普及しておらず、炊いたごはんは冷えてしまったら、そのまま食べるか蒸すしか方法がありませんでした。それがフライパンに卵を割って、ごはんと『炒飯の素』を炒めあわせれば、誰でも簡単に美味しい炒飯が作れます。戦後の高度経済成長期、忙しい生活の中で大変重宝がられ、大ヒットしました」
その頃、ごはんにあわせる複合調味料は、ふりかけやごま塩程度しかなく、手軽に1品できあがるインスタント食品として『炒飯の素』は、画期的な発明品だった。これまで外食でしか味わえなかった炒飯という料理自体を家庭の食卓に持ち込み、調味料市場の中に、炒飯の素市場そのものを新たに生みだした。