「かき醤油の売上は会社全体の1割にも満たず、本当に雀の涙ほど。売れなくてどうしようという商品でしたね」
それまで世に存在しなかったかき醤油は、奇怪な調味料として人の目に映った。味の想像がつかず用途不明、価格帯は600mlで600円と高い。かきを食べるための醤油だと勘違いされたりもしたようだ。かき醤油の課題は認知度を高めること、そして、使い方も広めていくことだった。
立ち上がったのは現社長の藤井直彦氏。このまったく売れない商品を「絶対に売れる。アサムラサキの柱になる商品だ」と、自ら先陣をきって中・四国、関西の卸業者や量販店のバイヤーに売り込みをかけてまわった。関西を選んだのは、関東に比べてだしの文化が強く、だし感の強いかき醤油は受け入れられるのではないかという考えだったという。
「商品サンプルを100万個作りました。10ml、20mlでは捨てられてしまうかもしれないので、100ml入りのパウチです。これだけあれば、醤油さしに入れて使っていただけるのではないかと思いました」
滋賀を中心に展開する大手スーパーのバイヤーが気に入って取り扱いを開始するなど、ピンポイントではあったが、アサムラサキのかき醤油は徐々に広がっていく。
また、広島県内では2月になると各地で「かき祭り」という、旬のかきの試食、販売を中心にした食のイベントが開かれ、全国から観光客が訪れる。かき商品のアピールにはうってつけの場だ。アサムラサキは欠かさずブースを出し、サンプル配布と試食を繰り返し、認知度を高めていった。
コープの共同購入で転機が訪れる
かき醤油の発売から3年後の1995年、アサムラサキはさらなる販路を求めて東京に営業所を開設。その頃はじまったコープネット(生活協同組合連合会コープネット事業連合)との取引が転機となる。
コープの共同購入はカタログ販売だ。その紙面上に、レシピや使い方を載せることができた。そのままかけ醤油としても使えるし、なべつゆに使える、肉じゃがのベースになる、適当に入れても味が決まるという訴求が主婦層にささったのだ。
「関西では大手量販店が取り扱ったこと、関東ではコープの共同購入、この2つの効果で、売れ行きがのびていきました。大手が売ると他の量販店も、売れているんだなと扱ってくれるようになります。一度使って気に入ってもらえればリピーターも生まれる。1回の発注で2万個、3万個と出ていき、10トントラックに満載しても足りないほどでした」