地元の景色、デラウェアのぶどう畑を守りたい
たこ焼きに合うシャンパンで「たこシャン」。そのユニークなコンセプトやネーミングに注目が集まりがちだが、それだけではこの商品のヒットの理由は見えてこない。その背景には、大阪のぶどう畑と向き合ってきた、小さなワイナリーの苦悩の歴史がある。
大阪府柏原市はぶどう産地として知られ、主力品種のデラウェアは全国3位の収穫量だ。この地にカタシモワインフードは、1914(大正3)年に創業。高井さんはその三代目の長男として生まれ、大学卒業後に神戸の製紙会社へいったん就職するも、1976年、25歳で家業に戻った。
「大阪のぶどう畑は栽培放棄が進み、国産ワイン業界は斜陽化の一途…。大阪府内に約120軒、柏原市に50軒以上あったワイナリーの中で、当時残っていたのはうち一軒だけでした。それでも、子どもの頃から間近にあったぶどう畑の景色を守り、祖父や父、先輩方が苦労して作ってきたワインを、地元の宝としてもう一度輝かせたいと思い、継ぐことにしたのです。『かまどの灰までお前のもんや』と言われて育った長男として、このまま逃げるのは恥やと(笑)」
失敗を通じて強まった、地元大阪へのこだわり
高井さんは、まず風前の灯だったワイン事業の立て直しに着手。当時の商品は一升瓶の赤・白だけだったが、新たにフルボトルとハーフボトルの赤・白・ロゼを販売。ヨーロッパ系の品種栽培にも取り組んだことが功を奏し、少しずつ売上は伸びたものの、ワイン主体の事業展開には至らなかった。
「ワインの売上は、会社全体の1割ほど…。父が苦肉の策で作った冷やしあめや、ぶどうジュースの売上でしのいだのが実情です」