外食産業の発展を予測し、卸の仕事を再定義
現在の広栄は、和食、洋食、中華、喫茶、ファストフードなど、様々な飲食店に向けて食材を卸している。しかし1946年の創業時は、食品添加物や色素などの薬品類を菓子メーカーに売っていた。創業者の急逝により、広田社長は28歳の若さで二代目の経営者となる。
「1970年代のことです。当時はマクドナルドやケンタッキーなどが日本に次々と誕生して、大阪万博のファストフードパビリオンでは、お客さんが長い行列を作っていました。その光景を見て、『これからは新しい時代が来る』と確信しました。そこで、私の代になって飲食店への食材卸を始めたのです」
しかし、当時はダイエーなどが台頭し、卸・問屋を介さずに直接取引をする問屋無用論が叫ばれていた。
「私は創業者の親父がしていた卸の仕事をずっと見てきて、中間卸は絶対になくならない、逆にその重要性は増していくと考えていました。問屋“有用”論ですね。ただ、時代に合った変化は必要だと思っていました」
そんな中、広田社長は当時の菱食フードサービス(現、三菱食品)の社長に、商売の教示を受けたという。
「『ひとつの商品がどんな荷動きをするかまで管理できないと、問屋は儲かりません。在庫管理を含めてしっかりやりなさい。そうすれば必ず儲かる会社になります』と教わりました。私はこの言葉に目覚めて、とにかく物流の徹底管理に取り組もうと思いました。その手段が、当時としては珍しいコンピューターの導入だったのです」
成功の土台となった、早期のIT導入による効率化
1984(昭和59)年、広栄は商品管理にコンピューターを導入した。大手企業でもやっと導入しはじめた頃で、小さな会社としては異例ともいえるタイミングだった。
「コンピューターを入れたことで仕事の内容が変化しましたね。この時から私はいろいろなシステムを考えて、SE(システムエンジニア)に相談しながら作ってきました。今では商品とラベルの照合を人間の声で処理するボイスシステムなど、さまざまな取り組みをはじめています」
広栄は試行錯誤を繰り返しながら、現在では一連の業務をIT化するに至った。中でも大きな役割を担っているのが、インターネットを使って受注業務を担う「BtoBプラットフォーム受発注」だ。
「チェーン店との取引が増加したことで受注業務が膨大になり、オンラインで注文を受けるようにしました。電話やFAXからの注文をオペレーターが処理するのに、これまでは50品で10~15分かかっていたのが、5分に短縮できたのです。基幹システムと連動して受注ミスも防ぎ、追加配送の手間や人件費を削減することにもつながっています」