30代のコア人材が不足、因習に囚われ疲弊していた現場
宮崎さんが4代目女将に就任した2009年、陣屋はいくつもの問題を抱えていた。そのひとつが、従業員の高齢化だ。当時32歳だった女将が最年少で、もっとも年齢が近い社員でさえ10歳以上も年が離れていたという。コアとなる30~40代の人材が不足し、現場は昔ながらのやり方にとらわれていた。
「マニュアル化しないことが美徳で、ひとつひとつの業務が細分化されている上に属人化されていました。『その人に聞かないと分からない』ことだらけだったんです」(陣屋代表取締役女将:宮﨑 知子 氏)
職人のように先輩の背中を見て学ぶ覚え方は、仕事の意味を自分で考えながら技術を身につけられるといったメリットはある。とはいえ、効率的とはいえずノウハウも共有されないため生産性はどうしても落ちてしまう。
1人ひとりの業務が細分化され、マルチタスク化ができないため、当時は部屋数20に対し120人もの従業員がいた。また、顧客情報は紙の台帳でフロントに集約されるため、各業務担当者への指示の多くはフロント係を通して届く。本来、上下関係はない業務上の立場に「指示を出す側・出される側」といった感覚も生じていた。
オンラインで情報を共有し、社内をフラット化
社内をフラット化し、業務を効率化させたい。そこで宮崎さんが着手したのが、従業員同士が簡単に情報共有できるオンラインツールの開発だった。
それまで紙の台帳でフロントが集約管理していた顧客情報をオンライン化し、タブレット端末で誰でも見られるようにする。情報が共有されたことで、全員が率先して業務に当たるようになった。
「顧客情報管理といっても最初は、お客様の予約情報を入力するだけの簡単なものでした。女将がうるさいから仕方なくやる、という従業員も多かったでしょう。スタートから3年目に追加した、ログインして出勤ボタンを押すことで給与計算される勤怠管理機能は定着を後押ししたと思います。でも、確実にシステム化を浸透させたのは、何よりも目の前のお客様が喜ばれているという手応えです」
システム管理はシンプルなものからスタートし、少しずつ機能を追加。顧客の好みや浴衣のサイズ、料理を提供する際に役立つ利き手の情報など、さまざまな情報をデータで残していった。開始から1~2年経つと、リピートの顧客に対する登録情報をもとにした接客が、「こんなことまで覚えていてくれたのか」と喜ばれるようになり、やりがいにつながったという。
小さなことでもデータ化しておけば、接客の糸口に
接客におけるデータの活用について、宮崎さんは次のように語る。
「ひとつひとつは本当に小さなことなんです。来店頻度が高いお客様であれば、前回とは違うお料理を提供したり、お子さんの浴衣のサイズが前回と変わっていることを会話のきっかけにしたり。
客室係がすべて話し上手というわけではありませんから、データに助けてもらってコミュニケーションを取ってもいい。お客様との距離が縮まって、一歩踏み込んだサービスができるようになりました」
顧客の細かな情報は、紙で残すと膨大な量になる上、読みにくい。データ化することでよりわかりやすくなり属人化された業務も徐々に解消されていった。
完全週休2日制をスタート、離職率はわずか3%に改善
陣屋が開発したシステムは、10年たった今も進化を続けている。シフト管理や稼働率、収益性――。膨大な情報を日次で管理し、素早い経営判断につなげている。
「IT化によって、働く人数を減らして業務を集中させることができました。旅館の経営にはますますスピード感が求められています。そのためにも、フットワークが軽い組織でありたいと思っています」
より効率的に、より良いサービスをと考えた結果、2014年からは完全週休2日制を導入。客室の稼働率はアップし、光熱費は大幅に減った。従業員にはしっかり休んで英気を養ってもらい、次の勤務に備えてもらう。「働き方改革」の先陣を切り、それまで3割を超えていた離職率は3~4%にまで低下した。
旅館業にも世代交代が起き始めている
宮崎さんらが開発したシステムは「陣屋コネクト」として、現在では全国370の宿泊施設で活用されている。若い経営者ほど、IT化に積極的だという。
「他の旅館業の皆さんも、古い体質をどうにかしなきゃという思いは持っていらっしゃいます。でも、その思いが強すぎるあまり、『システムを導入すること』が目的になってしまうおそれもあります。今は効率化をかなえるためのシステムがたくさん出ていますので、自分の旅館に何が必要なのか、なぜ変える必要があるのかを、しっかり考えていただくことが大切なのかなと思います」
旅館業とITの可能性を肌で感じた宮崎さんは、ITによって旅館同士をつなぎ、将来的には地域活性化にもつなげたいと考えている。2017年には、陣屋と他施設のあいだで食材や備品、労働力などのリソースを共有し合う新たな試み「宿屋EXPO」をスタートさせた。
たとえば、地元の生産者から食材を共同で買い付け、季節感あふれるメニューを低コストで提供する。料理の質が上がって、顧客満足度もアップする。また人材を融通しあえば、遊休労働力を有効活用することもできる。ITを使って、限られたリソースで最大限の成果を上げるための「助け合い」だ。
全国の旅館の課題を解決するネットワークサービスも開始
上記のシステムは2018年、全国旅館生活衛生同業組合連合会の支援を受け動き始めている。
「将来的には、陣屋だけでなく地域全体を盛り上げていきたい」と語る4代目女将、宮崎さん。日本の旅館は、ITによってまだまだ伸びる。創業100年の老舗旅館が成し遂げた経営改革は、旅館業だけでなく、多くのサービス業にとっても明るい希望となるだろう。
株式会社 陣屋
代表者:代表取締役 女将 宮﨑 知子
所在地:神奈川県秦野市鶴巻北2-8-24
企業サイト:https://www.jinya-inn.com/