修行時代の挫折から、仲間の大切さを学ぶ
【Q】飲食の世界を志すようになったきっかけを教えてください
私の実家は北海道・旭川の米作り農家で、食事は家族が当番制で用意することになっていました。家族みんなが料理する姿を見て育ちましたから、高校を卒業したら料理人になりたいと自然に思うようになったのです。私は長男なので、本来なら農家の跡継ぎです。しかし、父は「自分の夢を頑張れ」と応援してくれました。そして大阪の調理専門学校を卒業した後、20歳の時にグローバルダイニングに入社したのです。
【Q】初めて就いた飲食業では、どんな経験をしましたか?
グローバルダイニングは完全に実力主義の会社でしたから、やればやっただけ自分の成長が実感できて楽しかったです。ただ、挫折も経験しました。24歳の頃、郊外に400席の大規模店を新規出店する話があり、自分が店長をやると言い出して任せていただいたのです。それまで私はキッチンしかやってこなかったのですが、ホールの経験がなくても大丈夫だと思っていました。過信していたんですね。案の定、店はうまくいかなくて、結局、私は店長から降格することになりました。当時は本当にショックで、会社を辞めようかと思い詰めたほどでした。
そんな私に、社長が「挫折こそ、強くなれるチャンスだ」と励ましてくれ、新たに都心に出店する店舗で店長の仕事を与えていただいたのです。この経験で、自分はいかに周囲の人たちに支えられて生きてきたのかを改めて学びました。一緒に働く仲間がいてこそ、自分があるんだと気付かされたのです。特に当時の上司が「数字(売上)も大切だが、数字のためにはまず人を大切にすべきだ」という考えの人で、その姿には多くのことを学びました。
【Q】30歳で独立して、1号店となる「いなせや本店」をオープンしたのが三軒茶屋。あえて激戦区を選んだ理由を教えてください
三軒茶屋を選んだのは、私が上京して最初に住んだ街だったからです。もちろん単にノスタルジックな気持ちで決めたわけではありません。かつて自分が住んでいたからこそ、“いける!”という勝算があったんです。出店当時から三軒茶屋は大勢の若者でにぎわう街で、周囲の飲食店も客単価2,000円台とされていました。ただ、一歩足を踏み入れれば落ち着いた住宅街が広がり、長く地元に住み続けているファミリー層がいるんです。そこで、この方々向けに、丁寧な接客で食材にこだわった料理をお出ししようと、客単価は4,000円に設定しました。
ただ、最初はやはり苦戦しましたね。「チューハイしか飲んでいないのに、なんでこんなに高いんだ!」と怒鳴られることもありました。宣伝でグルメサイトを利用することもアドバイスされましたが、焦って対策をしても一見客しか来ないと思い、手を出していません。そんな調子だったので、オープンから1年くらいは一日に一組しか来なかったことも珍しくありませんでした。
でも、心が折れることはなかったです。少しずつですが、「家族でゆっくりできる店が欲しかった」と喜んでくださるお客様が増えて、常連になっていただきましたから。それに、もともと30年間愛される店にしたいと思っていたので、のこり29年のためには1年間苦労するくらいどうってことはないと割り切っていました。おかげさまで3年後、2号店の洋食業態をオープンさせ、その後も和食ダイニング、炉端焼きを提供する和食業態、イタリアン業態の店舗を出店していきました。
ITの利用でスタッフの作業効率とペーパーレス化がすすむ
【Q】順調な出店に見えますが、大変だったことは?
5店舗目のオープンから、とにかく閉店後の仕事の多さに参っていました。食材の発注のほか、納品書や請求書を一枚ずつ仕分けして、まとめて計算して、といった作業にホールとキッチンの2名が毎日1時間は残業していたのです。“なんとかしなければ”と思い、ネットで食材を発注できる『BtoBプラットフォーム受発注』を導入する決断をしました。
【Q】ITの導入で、日々の業務は改善されましたか
まず、発注内容がパソコン内で一覧化されるので、閉店後にスタッフが伝票整理や金額計算で残業することがなくなりました。閉店時間とほぼ同時に帰宅できるようになったのです。