マニュアル化されていない、昔ながらの人間味ある店が原点
【Q】恵比寿横丁を作られる以前は、どのようなお仕事を?
2001年頃、僕は飲食業界のなかでもわりとキレイなデザイナーズレストランなどを運営する会社に勤めていました。
当時は、そうしたデザイナーズレストランがブームの時期で、成功店のノウハウがマニュアル化され、「飲食店はこうすれば流行る」と内装・外装や接客サービスまで画一化された店が乱立している状態でした。
流行っている間は良かったのですが、ブームがすぎてしまうと廃れるのも早く、ある時を境に、繁盛店からひと足が途絶えるのを目の当たりにしています。
一方、そうした飲食バブルに流されなかった店もあります。決してキレイではないですが、肩肘をはらなくてもいい、普段使いができる店です。
僕は元々そういう昔から残っている店が好きでした。接客マニュアルなどなくて、おじちゃんとおばちゃん達でやっている、いわゆる味のある店です。
ただ、そういう昔ながらのお店は、お客さんの年齢層も高く、若い人がなかなか入りにくい雰囲気があるため、このまま廃れさせてはならない、日本の文化店をつなぎたい、という想いにかられました。そこで僕は古い酒場の良さを残し、若い人も気軽に入りやすい、世代をつなぐ酒場を創りたいと考えたのです。
面倒なことを楽しめる人たちを集めてつくった横丁
【Q】若い層も入りやすい、昔ながらの酒場はどのように作られたのでしょうか。
新しい酒場のアイデアが出たのと同じタイミングで、たまたま恵比寿駅近くにある公設市場の跡地を見つけました。