フランチャイジー専門企業の飲食店経営論~タニザワフーズ・アメリカヤ

セミナー・イベントレポート2023.03.29

フランチャイジー専門企業の飲食店経営論~タニザワフーズ・アメリカヤ

2023.03.29

フランチャイジー専門企業の飲食店経営論~タニザワフーズ・アメリカヤ

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国内最大規模のフランチャイズ展示会『フランチャイズ・ショー2023』が3月に開催され、フランチャイズ経営に関する多くのセミナーが講演された。その中で飲食店経営者として登壇したのは、フランチャイジーのみでファストフードやファミリーレストランを中心に6業態93店舗を運営するタニザワフーズ谷澤公彦社長と、ファストフードや焼肉など9業態55店舗を運営するアメリカヤコーポレーション福田大作会長。外食経営のあり方やFC本部を選ぶポイント、先代から事業承継するプロセスなどを語った。

タニザワフーズ株式会社 代表取締役社長 谷澤 公彦氏
タニザワフーズ株式会社
代表取締役社長 谷澤 公彦氏

1975年生まれ。1998年に愛知大学経済学部を卒業後、株式会社名古屋銀行へ入行。02年にタニザワフーズ株式会社へ入社し、04年に取締役、17年に代表取締役副社長、18年に代表取締役社長に就任。22年からは一般社団法人日本フードサービス協会の副会長も務める。

株式会社アメリカヤコーポレーション 代表取締役会長 福田 大作氏
株式会社アメリカヤ
コーポレーション
代表取締役会長 福田 大作氏

1974年生まれ。4歳の時に父親が「アメリカヤ靴店」を開業。城西大学を卒業後、靴の販売を3年間経験する。2000年に実家へ戻り、靴の販売を半年間経験。その後は同社のフランチャイズ事業参入とともに、牛角の店長職などを歴任。以降も複数業種の店長職を担当し、2004年に常務取締役就任。2010年に代表取締役社長、2020年に代表取締役会長に就任し、現在に至る。

株式会社ビジネスチャンス 代表取締役社長 兼 編集長 中村 裕幸氏
株式会社ビジネスチャンス
代表取締役社長 兼 編集長
中村 裕幸氏
(モデレーター)

1982年生まれ。2005年に株式会社亀岡大郎取材班グループの株式会社全国賃貸住宅新聞社に入社。主に不動産・建設・保険分野での取材活動を行う。2009年に同グループ内の雑誌「ビジネスチャンス」の法人化に伴い出向し、翌年転籍。2011年に同社代表取締役に就任。フランチャイズ分野唯一の専門誌として、FC本部やフランチャイジーの情報を発信している。

目次

外食フランチャイジーのみで多店舗展開

タニザワフーズ株式会社 代表取締役社長 谷澤 公彦氏(以下、谷澤氏)「弊社は1947年に私の祖父が子供用のセーターを作る繊維業を立ち上げたのが始まりでした。その後、1970年頃から繊維の輸入が盛んになり商売が厳しくなった際、ステーキのあさくまの社長に『これからは外食がおもしろくなる』と言われたことをきっかけに、私が生まれた1975年から飲食店のフランチャイズビジネスに取り組むようになりました。

当時はロッテリアやローソン、吉野家など様々なブランドをオープン・クローズして、現在はケンタッキーや吉野家など6つのブランドを93店舗、東京、埼玉、山梨、静岡、愛知、三重を拠点に経営しています。時代に合わせていろいろなブランドを乗り換えることで、会社を継続させてきました。特にフランチャイズビジネスは、オリジナルでやっている店よりも変化を起こしやすいのではと思います」

株式会社アメリカヤコーポレーション 代表取締役会長 福田 大作氏(以下、福田氏)「弊社の始まりは、私の父が群馬県館林市に出店したアメリカヤという靴屋からでした。事業は順調でしたが、問屋さんから物を仕入れて販売する商売を難しいと感じているときに、近隣でセブンイレブンやモスバーガーなどを複数経営している方を参考に次の事業を考えたようです。1997年に法人化して、最初に手がけたフランチャイズはサーティワンアイスクリームでした。

その後、2000年から牛角の業態をスタートし、2003年、郊外型のショッピングセンターが数多くオープンしたタイミングでペッパーランチを出店しました。その後、ショッピングセンターとロードサイド店舗の両方で出店していきます。2014年に天丼てんや、2016年にからあげ専門店からやま、いきなり!ステーキ、シュークリーム専門店ビアードパパの3業態、2020年にしゃぶしゃぶ温野菜などのブランドを展開してきました」

株式会社ビジネスチャンス 代表取締役社長 兼 編集長 中村 裕幸氏(以下、中村氏)「福田社長のキャリアは、靴屋と飲食店の時代があったのですね?」

福田氏「はい。2000年に3年間お世話になった靴屋を退職し、群馬県館林市にある実家の靴屋を半年間手伝いました。靴の小売から飲食に入った当初は、業務のギャップに苦しみました。牛角の1号店をオープンした際に社員として入社したのですが、3テーブル分の注文を同時に運ぼうとして、どの卓に何を提供するか迷いながら歩いていると、その最中にお客様から『すいません、追加で注文したいのですが』と声が掛かって。これまでの業務との違いに頭が真っ白になっていました。

最初の頃はアルバイトさんの意見をしっかり聞く、どちらかというとアルバイトさんに回されているような立場だったのですが、『次の店では店長として、マニュアルを徹底してやろう』という気持ちが強くなってしまったところ、見事に従業員がいなくなり、やはりこの辺はバランスだと新人時代に勉強させていただきました。

その後、お店が増えるにつれ、限られたコミュニケーションの中で人間関係をしっかり作っていこうと思い、言葉遣いや、身だしなみを気にするようになりました。2010年に社長に就任した当初、私がよく思っていたのは、現場に近い社長でいたい、ということでした。例えば、従業員の誕生日にメールを送るとか、大型連休の際に『この忙しい時期に社長は何しているのかな』と従業員に思われるのが嫌だったので、飲み物を持って店舗を回りました。そういったアナログな活動をしながら、2020年に会長に就任しましたが、数字は正確でお客様は正直だなということを改めて実感しております」

裏方業務にはお客様に対して一番インパクトのある仕事がある

中村氏「谷澤社長のキャリアでは、ご実家の稼業はずっと飲食業でしたね?」

谷澤氏「私の場合、大学を卒業してすぐに稼業に入ることはしませんでした。それは私が小さい頃から、祖母に『学校卒業してからすぐに家業に入ってはダメ。必ず外の社会を見てからにしなさい』と言われ続けていたのが影響しています。大学卒業後は、地元の名古屋銀行に就職し、4年間勤めていました。銀行員は、23、24歳の若者であっても、会社のトップや財務関係の方などと話ができます。今振り返ってみるとその時のことが良い勉強になりました。

後半の2年間はシステム部に配置転換されました。当時はベンダーさんからサポートを受けながら、社員が手探りでシステムを構築するような体制でした。中でも、やっていてよかったと思う業務がATMのバグ探しです。システムを構築する最中にバグが発生してしまうと、全銀行のシステムが止まってしまうリスクがあります。銀行に用事がある人の大半はATMで現金を引き出す目的なので、ATMはお客様との接点が多い。それにも関わらず、お客様からは誰がシステムを構築して整備しているのか見えない状況です。裏方業務にはお客様に対して一番インパクトのある仕事があると知りました。

そして2002年に実家の家業に戻ってサーティーワンアイスクリームの店長をした後、2010年代に取締役に就任して、2018年に社長に就任しました」

先代からの事業承継で変えたこと・変えなかったこと

中村氏「先代社長から得られた学びは何でしょう?」

谷澤氏「父親は基本的に、私に対して何か言うことはないです。幼少期から家では会社のことを言いません。恥ずかしい話ですが、大学時代に吉野家でアルバイトしていた友達から『タニザワフーズが運営しているよ』と聞いて、吉野家との関係性を初めて知ったほどです。当時、父からは経営に関するテープや書籍を渡されていて、通学中にチェーンストアの理論を指導している団体が作成したカセットテープをずっと聞いていました。それを4、5年に渡って聞き続けていると、入社した時には父親が何を言っているのか理解できました。

入社してしばらくすると、会長のかばん持ちをし、様々なところに顔を出して『息子です』と挨拶し、会話を聞いていました。直接何か言われたわけではないですが、自分が会社を引っ張っていく際の、立ち位置が見えてきたと思っています。役員就任後も、父親は何も言わないので、父親を代弁するかのように、役員の方々から指導していただきました。ある意味、恵まれていたと思います」

中村氏「事業承継して着手されたことは何でしょうか?」

谷澤氏「当初は愛知県・山梨県・静岡県のみで店舗を運営していたのですが、この3県の中で出店余地があるブランドが少なくなってきていました。そこで二つの選択肢を挙げて会社を変えていこうとしました。一つは運営するブランド数を増やして、会社としての市場占拠率を上げていくこと。もう一つは、エリアを拡大することです。新たなブランドと組むのは難しいので、既存のブランドで新たなエリアに出店しようと考えました。そのタイミングで本部から話が持ち出されて、関東地区にケンタッキー、三重県にサーティワンアイスクリームを店舗譲受して出店しました」

中村氏「福田会長はいかがでしょうか?」

福田氏「私が社長に就任した後、店舗数と従業員が増えたので、社内コミュニケーションの強化を図りました。もう一点は、加盟社の評価基準が何かを考えたことです。各ブランドの本部が発表している既存店昨対という数字があるのですが、その数字をわれわれのA店が超えているか、ということが加盟店の評価に直結します。

例えば、われわれのA店が105%という数字なら昨対は超えています。しかし、本部の既存店が110%であれば、われわれは下回っていることになります。これでは店舗力が弱い、QSCが悪いという判断になる。この数字を一年間通して見ると店長の顔が見えてくるんです。QSCが良い店舗はブランド平均を超えています。私が就任した当初は、あまり強くなかったのですが、ここ最近はしっかり意識して活動しています」

ブランド選定の基準は、本部社内の空気感をつかむこと

中村氏「ブランドの選定について伺います。アメリカヤさんはどのような選定基準でしょうか?」

福田氏「まずは自分が食べて美味しいかどうかです。同じような味のものが他の店でも取り扱っていたら、競争環境が生まれてしまい、他店にお客様が流れてしまう。なので、看板商品を持っていて商品力のある業態ということが選定基準の第一に挙げられます。

二つ目は、本部の社長にお会いした時に、今後の方向性などをよく聞くことが重要で、社内の雰囲気も含めて、業種の選定を行っています。また、売上が伸びている業態はお客様の評価が高いところでもあるので、役員会の中で数字を持ち寄って合議制で出店新業態を検討しています」

中村氏「例えば、どのような社長と組んでいきたいですか?」

福田氏「商品に対する思いが強い社長は、お会いすると『実はこの商品って、こうやってできたんだよ』と熱く語られます。商品に対する愛情が強いと、この先もブラッシュアップを繰り返して、良い商品を輩出していくのだろうと思わされます。

あと、新業態を始めるときに、すごく慎重になった時期がありました。今は本部に無理を言って、実際の現場を見学して、どんなオペレーションが行われているのか、また従業員には、どんな負担がかかっているのかを見て検討しています」

中村氏「タニザワフーズさんの場合は、歴史あるブランドが多い印象です」

谷澤氏「基本的には、福田さんが言われたことがベースにあります。トップの方と話して、自分たちと合うかどうかは重要です。その上で、そのブランドがフォーマットの中で一番か、一番になり得る可能性があるかを重視しています。そういう強いブランドでなければ継続していくのが難しい。

二つ目は、基本的には一社一業態しかできないのではないかと思っています。なぜかというと一業態目をスタートさせるときは、すごく強い思いを持っているのですが、その後、世の中の流れを受けて、新たなブランドを立ち上げていくと、二業態目に対する力のかけ方は、どうしても私の中では低く見えてしまいます。なかなか二業態目を出店するのは難しいかなと思っています。

三つ目は、今までやっているブランドとの相性が大事だと思っています。今までやっていたお店から新たなブランドに切り替える時、そこで働いていただいている従業員が乗り換えやすいかを見ています。まったく別の業態ではやはり働けないんですよね。

あとは法的な競業避止義務というのが強いブランドもありますので、そこに抵触しないように、何ができるのかなと学び続けています」

中村氏「出店されているブランドが、かなり大手チェーンブランドですから、トップシェアの次を狙うのはなかなか難しいですよね。新規の出店の計画は立てていらっしゃいますか?」

谷澤氏「私は完全にご縁でしかないと思っているので、できるときにできる体制を整えておこうと思っています。会社拡大という方向性も可能性はゼロではないので、タイミングが来たときに動ける会社の体制を作っておきたいです」

これからの飲食業界で生き延びるための経営方針

中村氏「代表に就任されてから、変えるべきもの、または変えてはいけないものは何だとお考えでしょうか?」

谷澤氏「出店するブランドは、これから先も変えていかないと、会社として続けていけないと思っています。当社では、乗り物を乗り換えるという表現をしています。

反対に変えるべきでないものは、経営理念です。文言などは時代ごとに適切な表現に変えていく必要はありますが、根っこの部分を変えてしまうと会社としての筋が通らなくなってしまう。極端に経営理念を変えてしまうと働いている従業員がまったくついてこなくなる可能性もあります。会社としての経営理念をどのようにして実現していくべきかをずっと変えてはいけないと思います」

中村氏「これといったブランドやセクションがあるわけではなくて、何が来ても常に対応できる体制を会社として取っておこうということですか?」

谷澤氏「そうです。今、一番多い数を出店している店が20年後に残っているかは分からない。世間が変わっても、続けられる準備をし続けていくしかないでしょう。コロナ禍で売り方を変えて伸びている会社は、コロナ禍が収束するタイミングで失速するだろうと感じます。そうではなくて根っこの部分で業態が構築されているブランドを、もっと掘り起こしていきたいです」

事業承継後、次世代に向けた取り組み

中村氏「次世代に向けてできることは何でしょうか?」

福田氏「フラットな組織を作っていきたいです。私が考える“会社がこうなったらいい”と社員が考える“会社をこうしてほしい”は少し違うので、本当に望んでいることを聞ける仕組みを構築したいです。また、社内の忖度はゼロにはならないとは思いますが、お客様に対して真摯に仕事している社員が評価される仕組みを作りたいので、人事評価を複数人で行うことが重要だと思います」

中村氏「お二人は事業承継して事業を軌道に乗せた実績があります。成功した秘けつは何でしょう?」

福田氏「谷澤社長も仰っていたことですが、先代があまり口出ししないことが重要だと思います。私も会社を引き継いでから、それほど強烈なことは言われていません。分業が必要だと考えています」

谷澤氏「昔から言われ続けていることですが、会社には、創業時、成長し続けていかないといけないタイミング、成熟期、そこからもう一回り大きくなるといったタイミングがあります。このため、会社の成熟度によって求められるトップの資質も違うと思います。事業承継をするタイミングで『一気に会社を大きくするぞ』という立ち位置ではない、と自分自身で理解しながら事業を進めています。継承する側も継承される側も、常に何を変えていかないといけないのかと考えつつ、今の会社の状況を見て、必要な役割を演じていけばいいと思っています」


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