大ヒットから消滅の危機まで、激動のホッピー昭和史
ホッピーは主に焼酎の割材として使われている。商品名としてはもちろん、焼酎と割ったドリンク自体も「ホッピー」と呼ばれ、関東エリアを中心に居酒屋では定番のドリンクメニューである。原材料にホップと麦芽を使い、製造工程もビールとほぼ同様だ。0.8%のアルコールを含むが法律上は清涼飲料水に分類される。
ホッピーを製造する 総合飲料メーカー、ホッピービバレッジの2018年現在の売上高は約40億円で、その8割以上をホッピーが占めている。ナレッジマネジメント部HOPPY未来開発課の原知代さんは、「ホッピーはザ・Tokyo Drink」と話す。
「商品としては全国に流通していますが、その8~9割は首都圏、関東エリアへの出荷です。ホッピーはもともと、ホップを使った本物の“ノンビア”(ノンアルコールビール)として開発・発売されました。ところが、戦後の物資の乏しい時代、ヤミ市で出回っていた粗悪な酒もホッピーで割って飲むと美味しく早く酔えると評判になります。自然発生的に焼酎用割材として浸透していきました。
第一次ベビーブームに生まれた団塊世代が働き盛りとなった1970年代後半には1日1万数千本だった生産量が年々増え、ピーク時は1日20万本を記録しました。安くて早く酔えるホッピーは、仕事帰りに飲むにはちょうど良かったのです」
焼け跡の東京の復興から高度経済成長まで、働く人の喉を潤していたホッピーだが、その後、工場設備の遅れや技術の不足から生産量が伸びず、しだいに注文にかげりが見えてくる。