革新的な商品開発で生まれた漬物界の新星
昭和初期には漬物生産日本一となり、今なお漬物王国の異名をとる愛知県。1941年に名古屋で創業した東海漬物が本社を置く豊橋地区は、県内でも屈指の漬物産地である。なかでも、当時から沢庵の生産が盛んだったことから、「渥美沢庵」の名は全国に知られるブランドだった。
1962年、そんな地で「きゅうりのキューちゃん」は産声を上げる。今から53年前のことだ。
キューちゃんが世に出た背景には、同社の実質的創業者といわれる先々代社長・大羽至氏の大英断があった。3つの革新的な商品コンセプトで漬物界に超新星を送り込んだのだ。
1つ目は、個包装パッケージを取り入れた衛生的で便利な包装形態だ。
「1960年代の頭というのは、それまでの小売専門店に代わりスーパーマーケットが台頭してきて、一度に大量に販売できる流通システムが整い始めた時代です。それに合わせて、プラスチック系の個包装パッケージが登場するなど食品の包装形態も大きく進化しました。漬物も樽漬けの量り売りが一般的でしたが、キューちゃんでは個包装を採用して衛生面や利便性を向上させ、売り方と買い方を変えたわけです」(吉澤さん)
続く2つ目は、「きゅうり」と「醤油漬け」という組み合わせ。
「当時は漬物といえば沢庵やぬか漬が主流で、きゅうりを醤油漬にするという発想は斬新だったようです。当時の開発者は、きゅうりのパリポリとした食感とごはんに合う醤油のおいしさで、これまでにない新しい漬物を生み出しました」(坂本さん)
そして3つ目は、半世紀を経た今なお親しまれ続けている「キューちゃん」というネーミングだ。
「当時は、漬物に限らず商品名というのは中身そのものがわかるストレートでシンプルなものが当たり前だった時代。そんな中、「キューちゃん」という愛嬌たっぷりに擬人化したネーミングを打ち出し、パッケージにもキャラクターのイラストを入れています。『きゅうりの醤油漬け』という新しいタイプの漬物だったにも関わらず、『醤油漬け』という言葉がパッケージにないんですよ(笑)」(吉澤さん)
それまでの漬物のイメージを覆したキューちゃんの売れ行きは、発売当初から好調に推移した。初年度の生産数は700万袋、次年度には一気に2000万袋へと増加。その後も順調に伸び続け、12期目の1972年~73年は最高の7300万袋を記録し累計6億2400万袋に達している。キューちゃんは、押しも押されもせぬ同社の基幹商品へとなっていった。
しかし、キューちゃんが漬物の常識を破る新商品だったとはいえ、それだけでは半世紀も親しまれ続けるとは思えない。一時的なブームで消えることなくロングセラーであり続けられる理由は、いったいどこにあるのか…。