離れてみて俯瞰できた、地元・川崎のポテンシャル
【Q】飲食業に携わるようになった経緯を教えてください。
父が自宅兼店舗でそば屋を営んでいて、子どもの頃から飲食業は身近な存在でした。とはいえ、朝から晩まで働いている姿を見ていたので「仕事としては絶対選びたくない」と思っていました。高校時代に色々経験したアルバイトのひとつに飲食業もありましたが、特にやりたい事もなく、20歳くらいまで職を転々としていました。
でも、周りが次々と就職活動をはじめるのを見て、「みんな一生の仕事を決めているんだ、自分はどうしよう」と焦りが芽生えたんです。これまで長続きしなかった仕事の中でも一番楽しかったのは何だろうと振り返ると、結局、飲食業だったんですね。
やるからには独立とは当初から思っていたんです。串揚げなら簡単そうだし1年で独立できるんじゃないか、くらいの考えで修行に飛び込みました。
そろそろ独立をと考えていた頃、川崎や都内で居酒屋を展開している形無株式会社の矢野潤一郎社長に出会いました。懐の深い方で、東京・学芸大学の居酒屋の運営を業務委託の形で任せてくださり、本格的に飲食店の経営を学ぶことができたんです。私は22歳くらいでした。
【Q】川崎からスタートしたわけではなかったのですね。
川崎で生まれ育った私が、はじめて地元を離れた時期でもありました。1年弱ではありましたが、離れた場所で過ごしたことで、川崎という町を俯瞰できたのは大きかったですね。
川崎は、東京と横浜という都会に挟まれ、人口流入も著しいベッドタウンです。駅の乗降客数も県内では横浜に次ぐ規模である一方、工場地帯で競馬・競輪といったギャンブルあり、繁華街もありと、ごちゃごちゃした町でもあります。
東京で繁盛した店は、だいたい川崎を超えて横浜へ出店します。その流行が何年か遅れて川崎に入ってくるんです。だから都会にあって川崎にないものって意外と多くて、実はポテンシャルがあるのでは、と感じていました。