多店舗展開を見据えた受発注のシステム化と負担軽減~株式会社串カツ田中

飲食・宿泊2019.02.01

多店舗展開を見据えた受発注のシステム化と負担軽減~株式会社串カツ田中

2019.02.01

多店舗展開を見据えた受発注のシステム化と負担軽減~株式会社串カツ田中

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大阪の下町の味をそのまま東京へ。
秘伝のソースを使った「串カツ田中」を運営する株式会社串カツ田中。起死回生で出店した1号店がヒットし、今や137店(FC92店舗、うち海外に1店舗)まで事業は広がりました。(※)
「多店舗展開には、受発注のIT化は不可欠だった」と代表取締役社長の貫 啓二氏は語っています。
※2017年1月10日時点

目次

失敗の連続を乗り越えて

自動車メーカーのサラリーマンだった私が、飲食業を始めたのは27歳の時でした。ビジネスモデルがシンプルで、誰でも参入でき、稼げると思ったことがその理由でした。今振り返れば、怖いもの知らずの無謀な挑戦でした。

最初に出店したのは、大阪・心斎橋のショットバーです。これが、長時間労働で休日もなし。しかも給料はサラリーマン時代の半分という状況でした。挙げ句に残ったのが、借金の山。しかし、現在の副社長である田中洋江という力強い相棒も手に入れることができました。彼女はショットバーのお客で、後にアルバイト第一号となった人でした。

この時感じたのは、次はとにかく長続きできる店をやらないとダメだということでした。そこで再起を誓い、それまで足を踏み入れたこともなかった東京に進出することを決めたのです。東京を選んだ理由は、「商売するならやっぱり東京」という、根拠のない思い込みがあっただけ。特に明確な理由も戦略もありませんでした。

上京後、表参道に出店した京懐石は、幸いにもそれなりにヒット。ところが、リーマンショックの余波に直撃され、業績は次第に悪化。借入額も膨らみ、いっそ精算しようかと思うほどに追い詰められていきました。

そんな時、田中が「串カツをやろう」と言ってきました。田中の亡き父が遺した“秘伝のたれ”レシピがあり、「これで商売ができないか」というのです。
正直、ヒットするなど思っていませんでしたが、精算するなら最後にやってみよう、というぐらいの気持ちで始めることにしました。

そして見つけたのが、世田谷の店。住宅街にぽつんとあるような店を、居抜きで安く借りることができました。これが大ヒットしました。

店のオープンは12月。寒い北風が吹く中、営業時間前からお客さまの行列ができて、開店と同時に満席になる。しかも、女性客や子連れのファミリー客がどんどんやってくる。赤提灯に家族連れが来るなんてまったく想定していませんでしたから、仰天しました。まさに起死回生でした。


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