連合会の立ち位置と応援メッセージ
パネルディスカッションに先だって、司会進行を務めた同連合会の高橋英樹専務理事が食団連の設立意図について言及した。
「食団連は、コロナ禍の2021年12月に発足しました。飲食業界共通の課題に対して戦うため、食にまつわるあらゆる団体を繋ぎたい、情報を一本化して行政に届けたいという思いから始めた団体です。コロナが落ち着いてからも食産業を取り巻く環境は課題が山積しています。こうした課題を丹念に拾い上げ、適宜報告し、または行政を動かす原動力にしたいと考えています」
続く来賓挨拶では、まず「飲食産業を応援する議員連盟」の会長を務める元首相の麻生太郎自民党元副総裁のビデオメッセージが披露された。
「いまの日本の貿易を見ると、半導体などの電子部品の輸出が約5.5兆円、鉄鋼が4.5兆円となっています。そんな中で2兆円という額を担っているのが訪日客です。他の主要国でのインバウンド消費が伸び悩む中、日本は2019年のコロナ前に比べて38.8%も増加しています。これは地方創生にとっても大きなチャンスです。業界としてまとまり、食産業全体の収益を考慮する。皆さんの力で地域と日本全体を盛り上げていほしいと期待します」
続いて、財務副大臣を務める井上貴博自民党総括副幹事長が登壇した。
「コロナ禍などから飲食業者を守るには、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省のほか消防や警察など、最低でも7省が関わってきます。これを動かすには、食団連のように産業を横に貫く集まりが必要です。政府に対しての圧力団体となっていただき、一致結束する。これが大きなパワーになります」
最後に、自民党で政務調査会副会長を努める松本洋平衆議院議員が登壇した。
「コロナ禍を契機に外食産業を応援するための議員連盟の発足に携わり、業界の方々と密にコンタクトを取りながら二人三脚で動いてきました。いまコロナ後と言われるようになっても、物価高騰や人件費高騰、働き手の確保など、問題は少なくありません。皆さんの業界が抱えている課題を解決していくためには、やはり行政や政治が皆さんとしっかりと意思疎通をしていかなくてはならない。その一助となってまいります」
パネルディスカッション「地方再生と食産業」
パネルディスカッションでは3名のコメンテーターが登壇した。ロイヤルホールディングス株式会社の代表取締役会長であり、食団連顧問でもある菊地唯夫氏は司会を担当。北海道余市町の町長である齊藤啓輔氏が「官」の立場から、食団連副会長でもある株式会社バルニバービ代表取締役会長の佐藤裕久氏は「民」の立場から、それぞれが地方再生と食産業との関わりについてプレゼンテーションを行った。
まずはさまざまな課題を抱える食産業において、また人口減少が加速する中で地方が維持していくために、食産業が果たす役割について司会の菊地氏は2つのことを挙げた。
「1つは、地域の食を守るインフラとしての役割、2つ目として域外からお客様を呼んでくるという役割です。これら両輪があってはじめて、地域活力を上げていくことにつながるのではないでしょうか」
この話を受けて、佐藤副会長が具体的な取り組みを披露した。
「地方で単に観光施設を作って人を集めるというだけでは消耗戦に過ぎなくなってきます。観光というのは、基本的に日没までのことを指します。有名な歴史的建造物や寺社仏閣、キレイな森や湖や海や川といっても、みな日没後になってしまえば人は集まりません。これが消費されるだけという実態です。観光としては成り立っていても、地方創生にまでは至っていません。最終的に目指すべきことは『住みたくなるまち』にしていかないと、地方はもうもたないと思います」
地方の「3屈」をブレイクスルー~淡路島での実例
住みたくなる町づくりについて、佐藤副会長の話が続く。
「私たちは、その取り組みの一環として様々な地方で話をしていきました。そのなかで地方の問題として、3屈があることに気付きました。退屈、卑屈、窮屈です。
まず退屈ですが、東京のように街なかに世界一のエンターテインメントがあるのと比べれば退屈なのは仕方がない。次に、卑屈。うちの町にはスタバもないしユニクロもない。さらに窮屈。シュリンクしていくコミュニティは、間違いなく独自の制限や監視が厳しくなる。もう窮屈なことこの上もありません」
続けて、3屈を覆す方法を披露する。
「われわれが島根県に出したお店は、ミシュランのお墨付きをいただいております。世界で認められた店がうちの町にはある。これだけで『卑屈』は覆せます。
一方で窮屈も覆せるのです。大都市にいれば、もはやLGBTは問題になっていません。でも地方でオネェの店を開くと、何だあれはと攻撃される。これが1人でなく、2人、3人、4人もいれば、『なんだか分からないけどおもしろそう』と噂になります。卑屈と窮屈を覆せば、これはもう退屈からも抜け出せます。3屈をブレイクスルーすること。これが大事だと知りました」
具体的な事例として、淡路島のケースでは、昨年7月から今年6月末までの年間売上が11億2000万に達したという。
「小さなコミュニティで、歩いている人もいないようなところにプロジェクトを持ち込みました。まずは飲食で話題を提供し、やがて廃校を買い取り、その校庭でグラウンドゴルフの大会や昭和ナイトというイベントも開催しました。年に2度、春分の日と秋分の日にお祭りも開催しています。今年の秋で6回目になります。
最初は抵抗もありました。そこには、2代前のいざこざを未だに解決できないなど、地域コミュニティのある面での欠点があります。でも『私たちが話をします』と引き取ってしまえば、何の問題もなくイベントに参加してくれるのです」(佐藤氏)
参加者は、当初の1200人から3000人を超えるほどで、屋台出店などの協力者もゼロから50近くまで増えている。
「仕掛けが定着しはじめたいまでも、『本当にありがとう』と涙を流して喜んでくれます。これが観光をこえて、働きたくなる町、住みたくなる町への第一歩かなと言う手応えを感じています」(佐藤氏)
余市町ワイン産業のマーケティングとブランディング
続いて、北海道余市町の取り組みを、齊藤町長がレポートする。
「現在、日本の人口は1億2000万人。100年前は大体5000万人だったそうです。100年後も5000万人になるそうです。人口動態の統計からみて、ほぼ確実な数字だそうです。100年前と100年後の5000万人が大きく違うのは高齢化率です。100年前は高齢化率5%だったのが、100年後は50%…。まさに沈みゆく情景ではないでしょうか」
こうした状況に悲観せず、食産業を含めた日本の産業全体で未来に向けた政策を打つ必要があると力説し、余市町での戦略を披露する。
「具体的に何をやっているかというとワインです。ワインを主軸に、ブランディングとマーケティングを徹底し、永続的に余市町を存続させます。そのための種を植えて、未来に向けてきちんと残していくという戦略をとっています」
余市町の人口は約1万8000人で年に200人ずつ縮小しているという。市内にはニッカウヰスキーがあるものの、住民所得は道内179自治体のうち165位という。
「そこでまず私が手を付けたのは、行政にありがちな公平性を無視しました。行政は偏ってはいけない。あらゆる産業資源に同程度の予算をつけなければいけない、とされています。そういった予算編成を、私は一切せず、ワイン一本に絞る政策を実施しました」
政策の具体的な取り組みとして、市内で多く栽培されているワインのブドウ品種が飲食店で多く販売される品種ではなかったことから、シャルドネやピノノワールに植え替えた場合、補助金を2.5倍にする政策誘導を実施している。
「もちろん大炎上しました。我々がやってきたことを否定するのか、と袋だたきにあいました。とはいえ、今後の将来を見据えたとき、売れない品種を作っていてどうなるのかと。いま振り返って軌道修正することが、将来を見据えて非常に重要だと説得して、大きく舵を切ったのです。幸か不幸か、温暖化の影響もあって、旧来の名産地にかわる新たなピノノワールの銘醸地として、いまや余市町は世界中から関心が集まるようになりました」(齊藤氏)
現在は、マーケティングやブランディングを進めており、海外への売り込みにも注力していると説明する。ただ、売り先はパリやミラノなどの消費地ではないという。
「北海道では、寒い冬を乗り切るために食材を塩漬けしたり、発酵させて保存しますが、同じようなキュイジーヌ(料理法、調理スタイル)をもつのは北欧です。食の陰性陽性でいえば、北海道の食は陰性度にアクセスがあって、北欧と親和性を持って伸びていきます。そういう論理構成で持っていって、それなりに理解を得られたように思えます。
官の立場から町の存続を考えるときに、やはり綿密なマーケティングと、的確なブランディングは必要だと実感しています。それがどれだけ奏功しているのかはこれから判明していきますが、少なくとも従来の行政手法では乗り切れないと思います」(齊藤氏)
白熱するディスカッション
佐藤裕久 食団連副会長、齊藤啓輔町長のプレゼンを受けて、菊地唯夫 食団連顧問が議事を進行するディスカッションとなった。
齊藤町長「私が育った町はまさに『3屈』でした。町から出て広い視点で見たからこそ良さも悪さも見えたことから、「外からの視点」が地方を活性化する上で必要不可欠だと思います」
佐藤副会長「海沿いに4階建ての施設を建てるにあたり、裏に位置する家の方からの苦情を想定していたところ、『西日が遮られてちょうどいい』と言ってくださいました。『夕陽が美しい』という価値が、地元の方にしてみれば『夕日は暑いから邪魔』となります。この視点の違いにも地方創生のヒントがあるのかなと思いました」
菊地氏「周囲が大反対するなかでの強行突破。その後はいかがでしたか?」
齊藤町長「町民の変化として、本当にワインしか飲まなくなりました。それまでニッカウヰスキーのお膝元と言うこともあってハイボールが中心でした。諦めずに続けていくと地域に変化がもたらされると実感しているところです」
佐藤会長「その事業に対しての未来、そのエリアに対しての未来を見つけたときに、思い切って取り組んでいくという覚悟が必要です。そのことを含めて地域や地方を見ていかないと、綺麗事では済まないなというふうに思います」
菊地氏「おふたりとも、成功を一つ築き上げることに満足することなく、更なる高みを見すえています。その『高み』が一つの大きな原動力になっているのがよく伝わってきました。とてもいいディスカッションになりました」