廃業の危機で目を付けた、生パスタというニッチな市場
淡路麺業のルーツは、1909年に開業した小さなうどん屋だ。飲食店としてうどんを提供しながら、近隣の食堂や小売店を相手に麺や出汁などの販売も行っていた。1950年頃には製麺業を本格化させ、1968年に淡路島内5つの製麺屋を集結する形で淡路麺業株式会社を設立。その後、製麺機や釜など設備投資を重ねて1日1万食を製造するなど、地元に根を張った製麺屋として事業を確立してゆく。
そんな老舗の5代目として看板を受け継いだのが出雲文人社長。大阪の大学への進学を機に淡路島を離れて京都の食品メーカーで5年間勤務した後、2005年に家業へ入社。2008年から現職を務めている。
「実家の会社に戻ってきた頃、製麺事業はどんどん傾いていました。2010年に黒字化するまで、12期連続で赤字という状況でしたからね(笑)。1998年に明石海峡大橋が開通して、流通力のある大手小売が淡路島に入ってきたのが大きな要因です。当社商品の半額とか3分の1の値段で売られていたわけですから」
地元の消費によって成り立ってきた小さな製麺屋は、時代の流れとともに廃業の危機へと追い込まれていった。もちろん、家業を継いだ出雲さんも黙って指をくわえていたわけではない。
「値段で負けるとなれば、既存の商品を改良したり、それを活用した高付加価値の新商品を作ったりして売上を伸ばすのが定石ですよね。元々ある設備もそのまま使えますから。でも、うどんもそばも中華麺もチャレンジし尽くしたのですが、結局どれも上手くいきませんでした。そこで、当時の麺市場ではまだ競争相手がいなかった生パスタに目を付けたのです」
スタートは、たった一人の電話営業
生パスタについてゼロから学ぶため、本場イタリアでの修業や国内の名店を訪ね歩いていった出雲さん。試作のレシピは数百種にものぼり、その真摯な姿勢と猛勉強ぶりは名店のシェフからも一目おかれるほどだったという。そして2007年、地元ホテルのシェフから協力を得て、初めての商品を完成させた。