“日本一の居酒屋”の称号を手に、海外、介護、学習塾事業を加速~プランズ深見浩一社長

飲食・宿泊2014.07.31

“日本一の居酒屋”の称号を手に、海外、介護、学習塾事業を加速~プランズ深見浩一社長

2014.07.31

“日本一の居酒屋”の称号を手に、海外、介護、学習塾事業を加速~プランズ深見浩一社長

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2006年の設立以来、国内で居酒屋8店舗、アジアを中心とした海外の一等地で7店舗を成功させ、「炎丸」ブランドとともに居酒屋文化を海外で広めているプランズ。日本一の居酒屋を決める「居酒屋甲子園」、さらに「S1サーバーグランプリ」のW優勝でご存知の方も多いだろうか。現在、その事業展開は飲食業に留まらず、学習塾と介護施設の運営も行っている。

同社を率いるのが、新世代の外食業界を担う若手経営者として注目を集めている深見浩一社長(37歳)だ。一見、様々な事業を手広く展開しているように見えるかもしれないが、それぞれに共通するのは、「街に本当に必要とされる存在になろう」という思い。インタビュー中、終始笑いを交えた軽快な語り口ながら、端々に強い信念とリーダーシップを感じさせた深見浩一社長の言葉から、飛躍の理由を紐解きたい。

目次

30歳で自分の店を出そうと決めたハタチの夜

【Q】会社を設立された経緯を教えていただけますか?

学生時代に京都で居酒屋のアルバイトをしていたんですが、その店がひどい店だったんですよ。2フロアの居酒屋で19時には満席になる人気店なんですが、その時間になると毎日決まって店長が“行方不明”になる(苦笑)。それで22時半頃になると、赤い顔して「頑張ってるか!」って帰ってくるんです。厨房でもケンカが絶えなくて。そんな店なのに、お客さんの満足度がすごく高い。そのとき“従業員満足度”と“顧客満足度”が比例しないのに、商売が成立するってすごいなあと思ったんです。

当時ハタチで、ちょうど社会と自分との関わりを考え出す時期だったので、“じゃあ、自分は従業員満足度が非常に高い状態で、顧客満足度を取っていける店をやろう”と。10年は色々と勉強して、30歳になったらお店を出す事を夢にしようと決めました。

それで結果的に、2006年6月28日に会社を設立して、自分の30歳の誕生日の11月に東京・新小岩に1店舗目の「居酒屋炎丸」をオープンしました。

【Q】“夢”を叶えるまでの10年間について教えていただけますか?

大学を卒業して2年間はサントリーでマーケティングを担当していましたが、せっかく大学4年間で飲食店の現場をいろいろと経験してきたので、やはり現場に戻りたいという思いがあり、飲食店を運営するコンサルタントのベンチャー企業に転職しました。ずっとお店で働いていて、最終的には23店舗の直営店の統括をさせてもらいました。

1年に250回来店する常連も…。街に愛されているエピソードの数々

【Q】「炎丸」の1号店を、新小岩にしたのはなぜですか?

以前いた会社が運営するお店が山手線内ばかりだったんですが、自分なりに調べてみると、東東京って商圏の割には家賃が安い。あと、東京でも都心の商売の傾向として、新規のお客さんが多くて、プロモーションにかかるコストの比率が高いんですね。満足度の高い営業をしてもリピート率が低い。でも、下町のベッドタウンで満足度の高い営業をすれば、何度も足を運んでくれるだろうと。

1号店の「居酒屋炎丸」新小岩店

それに僕はプロモーションコストよりも、FLコスト(材料費と人件費)をかけたい。いい食材を使って安く売りたいし、サービスのスタッフもカツカツの状態 で回すよりも落ち着いた感じで、会話しながら営業したい。家賃とプロモーションコストを下げて、FLコストをかけた店の展開をしたいと考えたとき、新小岩はぴったりだったんです。

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