義務化の背景
カスハラ対策が企業に義務づけられた背景には、現場での被害拡大と、それに伴う従業員の健康被害・離職リスクの高まりがある。厚生労働省が実施した職場のハラスメントに関する実態調査(2020年度)によると、ハラスメントを受けた内容はパワハラに次いでカスハラが挙げられた。
![[参照]厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(PDF)」](https://foods-ch.g.kuroco-img.app/files/user/articles/anzen/law/images/202508_kasuhara_graph.png)
特に接客業では“お客様は神様”とする価値観や、SNSの普及、経済不安の影響もカスハラの増加が拍車をかけている要因だ。これまでの法制度では対応が不十分で、企業に任されていた対策にも限界があった。そこで2025年6月、労働施策総合推進法が改正され、すべての企業に組織的なカスハラ対策の実施が義務づけられることとなった。
カスハラとは何か?定義と判断基準
カスタマーハラスメントの定義
カスタマーハラスメント、いわゆる“カスハラ”は、理不尽な要求や暴言、暴力などをイメージするが、その行為の内容や程度がさまざまであり、法律上の定義は存在しない。厚生労働省が公表している資料では、企業が対応すべきカスハラの目安として下記のように定義している。
| 顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就労環境が害されるもの |
[参照]厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(PDF)」
ポイントは社会通念上不相当であること、労働者の就労環境が害されることの2点だ。東京都のカスハラ防止条例でも、カスハラを「顧客等による著しい迷惑行為が就業者の人格又は尊厳を侵害する等就業環境を害し、事業者の事業の継続に影響を及ぼすもの」と定義している。
カスハラの判断基準
カスハラは、社会的に見て伝え方や内容が受け入れがたいと判断される場合に該当するとされる。
【カスハラの判断基準となる2つのポイント】
① その要求に妥当性があるか
② その伝え方が社会通念上、適切な範囲に収まっているか
【カスハラとして扱われやすい言動】
・ 商品に明らかな問題がないにもかかわらず過剰な補償を求める
・ 怒鳴る
・ 土下座や暴言を伴って要求する
・ 不当な言いがかりや威圧的な態度を繰り返す など
このような言動が繰り返されれば、従業員の心身に深刻な影響を及ぼす可能性もある。そのため、企業には業種や職場の状況に即した判断基準が求められている。
飲食店経営者が知るべき法改正のポイント
施行日
改正法案は2025年6月に閣議決定され、2026年中の施行が予定されている。公布日から1年6月以内に政令で定める日に施行される予定だ。加害者の対象には、顧客、取引先、施設利用者などが含まれ、企業には被害発生時の対応指針の策定や相談体制の整備などが求められる。
事業主が講ずべき具体的な措置とは
現在、カスハラの対策として事業主が具体的に講じるべき措置は、詳細な指針がまだ示されていない。今後、厚生労働省などの関係機関が正式な指針を策定し、その中で必要な対応が明らかにされる見通しである。
現段階で示されているのは、対応策の大まかな方向性であり、以下の3項目が基本方針として掲げられている。
・ 事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発
・ 相談体制の整備・周知
・ 発生後の迅速かつ適切な対応
これらの項目は、カスハラ対策を進めるうえでの基盤となるだろう。今後発表される具体的な指針を注視しつつ、企業側は事前に体制を整えることが求められている。
罰則
今回の義務化に関連して、企業が対応を怠った場合でも、刑法上の罰則や罰金が直接科されるわけではない。
しかし、厚生労働大臣による助言や指導、必要に応じて勧告が行われることが予想される。企業がこの勧告を無視した場合には、その企業名や対応の不備が公表される可能性も出てくるだろう。いわゆる「公表措置」と呼ばれるものであり、社会的信用に影響を及ぼすリスクがある。
また、従業員への言動が暴行や脅迫といった刑法に触れる内容であれば、個別に刑事責任が問われる場合もあるため、十分な注意が必要だ。
今すぐできる!飲食店におけるカスハラ対策
従業員の心身の安全を確保し、持続的に安定した事業運営を行うためには、組織として計画的な対策が求められる。厚生労働省の資料に基づき、企業が取り組むべき対策を紹介する。
事前準備
カスハラへの対応は、発生後の処理だけでなくあらかじめ備えておくことで、問題が起きた際の混乱を最小限に抑えられる。事前準備について解説する。
| 項目 | 目的 | 主な取り組み内容 |
|---|---|---|
| 基本方針の明確化と従業員への周知・啓発 | 企業の姿勢を明確にし、従業員が安心して働ける環境を整える | ・経営トップのメッセージ発信 ・カスハラの定義や毅然とした対応姿勢の明文化と共有 |
| 相談体制の整備と周知 | 従業員が安心して相談できる体制を整える | ・相談窓口の設置 ・相談対応者の育成 ・相談内容の範囲明確化 ・社内連携体制の整備 ・緊急連絡用の専用ルートの設置 ・電話応対内容の録音体制の整備 |
| 対応手順の策定 | 従業員が落ち着いて対応できるよう備える | ・想定事例ごとの対応例作成 ・複数対応の徹底 ・報告・連携のルート整理 |
| 社内教育・研修の実施 | 従業員が適切に対応できるよう習熟を図る | ・全従業員対象の研修実施 ・実例を活用した学習 ・役職別の内容で実践的に強化 |
[参照]厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(PDF)」
また、上記以外にも、店内には「ハラスメント行為は受け入れない」という方針を掲示することも効果がある。さらに、会社としての対応の考え方をホームページや求人情報などに明示することで、来店客や応募者に対するメッセージにもなるだろう。
カスハラが実際に起きた場合の対応
いざカスハラが発生した場合には、的確かつ冷静な対応が求められる。実際の場面で取るべき行動を説明する。
| 項目 | 目的 | 主な取り組み内容 |
|---|---|---|
| 事実確認と個別対応 | 状況を正しく把握し、適切に対応する | ・初期対応での冷静なヒアリング ・証拠の収集 ・管理者との連携 ・顧客への対応措置 |
| 従業員のケア | 従業員の安全と心身の健康を守る | ・被害者の隔離 ・専門機関への相談体制整備 ・表彰や交流を通じた心理的支援 |
| 再発防止の取り組み | 同様の被害を未然に防ぐ | ・過去の事例をもとに改善策を検討 ・マニュアルや研修内容の更新 ・外部組織との連携強化 ・現場の声を吸い上げるため、店舗巡回やスタッフとの直接対話の機会を設ける(LINEグループやアンケートなどのツールも活用する) |
[参照]厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(PDF)」
特に、従業員が安心して働ける職場環境を整えるためには、方針の明確化と日頃からの教育・体制作りが不可欠である。発生時には、迅速かつ冷静な対応に加え、被害者の心身への配慮と再発防止の姿勢が、組織全体の信頼性を高める要素となるだろう。
カスハラ対策は投資
理不尽なクレーム、暴言、威圧的な態度といった行為にさらされる従業員を保護することは、経営者の責務であり、企業の持続的成長にも直結する経営課題だ。職場環境の整備は経営課題であり、離職防止やサービス品質の向上といった経営的メリットをもたらす。
一方で、対策を怠れば人材流出や企業イメージの悪化など、重大なリスクを招くおそれもある。飲食店経営は単なる法対応ではなく、将来の安定経営を支える投資として捉え、実効性のあるカスハラ対策を講じることが重要だ。












