「せんべいを作るメーカーに頼み込んで、ノウハウを少しだけ教えてもらったりもしました。ただ、味にうるさい博多っ子を満足させるために当社が目指したのは、単なる明太子フレーバーのせんべいではありません。せんべいの中に明太子そのものを練り込むという特殊なものでしたから、結局は自分たちの工夫で徐々に形にしていったのです」
せんべいで海産物の旨味を出すには、エキスやパウダーを用いることが一般的だ。しかし、めんべいは明太子を具材としてそのまま練り込むため、製造過程で割れが生じやすいという課題があった。味へのこだわりが、形状でのマイナス要素となっていたのだ。
「割れないように調合を変えることも試しましたが、それでは味が落ちてしまいます。試作の度に『コレではダメ』と切り捨てていました。結局、味を最優先させることに決めて、社員には苦労をかけたかと思います。しかしお客様にはお金を出して買っていただくわけですから、『これじゃないと買わない』と言っていただける商品でないと世に送り出す意義がないと思うのです」
予算なしでもメディアに露出させた、直筆の手紙
2001年にめんべいを商品化したものの、大々的な広告を打つ予算もなく、最初は当然のごとく売れない日々が続いた。営業担当も、当時好調だった明太子の対応で忙しく、未知数の新商品に関わっていられない。そこで山口専務がとった行動は、自らマスメディアに向けて商品を売り込むことだった。
「雑誌社や新聞社など、350社ほどでしたでしょうか。撮影用と試食用に、2箱ずつ商品を送りました。同時に、『自慢の明太子をもっと広く味わって欲しい』という、私の熱い想いを綴った直筆の手紙も添えたのです」
商品の珍しさと一字ずつ丁寧に綴られた九州からの手紙に、編集者も心を動かされたのだろう。メディアでめんべいが取り上げられる機会は、少しずつ増えていったという。
「ある日、東北からの注文が驚くほど集中した日がありました。後日知ったことなのですが、東北の地方新聞に『めんべい』の記事が掲載されていたのです。反響の大きさに驚かされたと同時に、こつこつと積み上げてきたことが無駄ではなかったと感じました」
さらに山口専務は、地元のスーパーなど小売店に対してもユニークな販促戦略を取った。