創業140年の油屋と和菓子職人との出会い
山本代表で4代目となる山本佐太郎商店は、戦前は菜種油を自社で搾油していた。しかし、空襲で工場が焼けてしまったため問屋業に転換。和紙に塗る油や提灯用の油、学校給食用の油など時代の変化とともに様々な形で油を扱い、現在は岐阜市内の飲食店を中心に業務用油や調味料などの卸し販売を行っている。
「親父の代になって飲食店への卸しを始めたのですが、17年前に親父が亡くなって22歳で僕が代表になりました。右も左も分からないまま家業を継ぎましたが、ありがたいことに『親父さんに世話になったから』と離れていくお客様はいませんでした。“店を継ぐことはお客様を継ぐこと”なんだと実感し、これはやらねばと奮起しましたね」
500店舗ほどの飲食店様と取引があり、売上は伸びていったが、原材料の高騰や価格競争などで利益を出すのは難しかった。
「何か“新しい価値”を生み出さねばと模索していたところ、取引先のひとつである岐阜市柳ケ瀬商店街の『ツバメヤ』というお店で、商品開発やレシピを担当するまっちんと出会ったんです」
まっちんとは、和菓子職人である町野仁英(きみひで)さん。『ツバメヤ』は、町野さんが和菓子職人として立ち上げや商品開発に参加した和菓子店だ。山本さんは、町野さんの誠実さやものづくりに対しての真摯な姿に共感した。年齢が一緒だったこともあり、二人はすぐに意気投合して「何か一緒にやりたいね」という言葉がどちらからともなく発せられたという。山本さんは油屋として、町野さんは和菓子職人として、お互いの得意なことを生かしてできることは何か—。
「油と和菓子だから、かりんとうなんてどうかな」。この町野さんのひと言で、すべてが動き出した。
さっそく商品開発に取り掛かろうとするが、二人はかりんとうを製造する設備を持っていなかった。そこで、『ツバメヤ』と取引があり、かりんとう製造の設備とノウハウを持つ『いぶき福祉会』に依頼することにした。『大地のかりんとう』は、そんな偶然の出会いが重なって自然な流れで誕生したものだった。
「10年後も20年後も30年後も食べ続けられるお菓子を作ろうというのが、最終的にはかりんとうを選んだ理由ですね」
子どもからお年寄りまで、毎日誰でも安心して食べられるよう、添加物は使わないことにした。そして、素材は北海道産の石臼挽きの全粒粉、平飼いの卵、化学精製されていない奄美大島産の洗双糖、抗酸化性に優れた米油など、一つひとつにこだわった。
「2012年4月に全国発売を開始して以来、おかげさまで現在は『大地のかりんとう』と『おいも泥棒』がそれぞれ月に5000袋、『うのはな日和』、『まるける』は3000袋ほど売れています。『大地のかりんとう』に至っては生産が追いつかず、新規のお客様には4ヵ月ほどお待ちいただいている状態です」
発売当初の売り上げは月に40万円ほどだったが、今ではシリーズ全体で400万円を超える売上があるという。売上とともに従業員の人数も増えたとはいえ、8人で切り盛りする小世帯に変わりはない。地方の小さな油問屋に、かりんとうが“新しい価値”をもたらしたのだ。
パッケージは、機能性とブランディングの視点でこだわる
発売開始から2年半。『大地のかりんとう』は、現在まで順調に売上を伸ばしているが、実は本格的に発売するまでには約1年という歳月がかかっている。天然素材にこだわるあまり、素材にかかる原価や品質の安定が課題になったからだ。何より自分たちが思い描く食感や味にたどり着くまでに多くの時間を費やした。地元の縁日やイベントでテストマーケティングを何度も繰り返し、お客さんの反応を見ながら原材料や味をその都度調整したという。
そして、もう1つこだわったのが、パッケージである。発売にあたり、テストマーケティング時に使用していたOP/CP袋はやめて、アルミの袋に変更した。