生産者の収益を上げるために導入された高級フルーツ
豊かな土壌と温暖な気候に恵まれた宮崎県は一大産地として、良質な農産物を世に送り出してきた。しかし、「作ったものを売る」といった昔ながらの体質があり、生産量の割には収益が上がらないという悩みも抱えていた。
そんな中、1980年代半ばには「売れるものを作る」ことで、より収益力の高い農業経営を目指す動きが始まる。そこで、白羽の矢が立てられたのが、国内産では沖縄がシェアを占めていた高級フルーツのマンゴーだ。
1984年には、当時のJA職員が沖縄からアーウィンという品種の苗木を取り寄せ、宮崎県におけるマンゴー栽培がスタートする。
しかし、未知の果物をすんなりと受け入れる生産者はほとんどなく、わずか数戸で栽培に取り組むだけだった。
「わずか数戸の生産者で栽培がスタートしたものの、天災や病害に悩まされっぱなしでまったく上手くいかなかったようです。生産者が主体となって情報をシェアし合いながら、温度管理や病害対策など栽培方法の進化に手探りで取り組んでいたという状況でした」
そう押川さんが振り返る通り、栽培開始から数年は生産者主体の取り組みだった。その後、JAも参画して県下の各JA単位で勉強会や研修会を開催。そんな活動が少しずつ広まる中、産地単位ではなく県が一つになって積極的にマンゴー栽培を進める動きへとシフトしていく。
「生産者たち独自の活動の輪に、我々JAが入り、行政が入ることで、県全体としてマンゴーを宮崎の特産品にしようという機運が高まりました。生産者、JA、そして県が課題を共有し合い、連携をとって解決していく体制に変わっていったんです」
1993年には、「宮崎は一つ」を合言葉に県内のマンゴー栽培農家約280人で構成する「宮崎県果樹振興協議会亜熱帯果樹部会」が発足。以来、生産者、JA、県が一体となって栽培技術確立や販売拡大を目指し、「みやざき完熟マンゴー」というブランド構築に尽力してきた。
一体化することにより、国や県の支援を受けやすくなるというメリットも生まれた。台風に強いハウスづくりや温度管理のための冷暖房設備の設置など、多額の費用がかかる生産施設の整備にも、組織力を生かし補助金を上手く活用してきたという。