森永乳業は、50 年以上にわたり、ヒトの腸内に生息するビフィズス菌(Human-Residential Bifidobacteria; HRB)※1の様々な健康効果に関する研究を基礎から応用まで幅広く行っています。
また当社は、北海道大学センター・オブ・イノベーション(以下、北大COI)※2の参画メンバーとして、北海道大学とともに、岩見沢市がめざす健康経営都市の実現推進のために、出生率の向上と低出生体重児の減少を目的とした母子健康調査を実施してまいりました。本調査は、産学官連携による社会課題解決や、持続可能な社会の実現をめざす「食と健康の達人」プロジェクトの一環として、岩見沢市の現在と未来の子供たちの健康な発育や成長のために2017年から開始されました。
このたび、母子健康調査の中から腸内環境に着目し、腸管自然免疫の作用因子である腸管αディフェンシンの産後の分泌量と母親の気分状態との関係性などを確認し、腸内環境に着目した周産期メンタルヘルスの新たなセルフケアの可能性を明らかにいたしました。なお、本研究成果は、女性の健康に関する国際的な学術誌『npj Women's Health』に2026年8月27日に掲載されました。
■研究ポイント
・産後数日時点で腸内のαディフェンシン分泌量が多い母親ほど、ネガティブな気分状態に関係する腸内細菌群の存在量が少なく、産後1か月の気分状態が良好であることを確認。
・妊娠中期におけるいくつかの食成分摂取量が、産後数日時点の腸内αディフェンシン分泌量と関連することを確認。
1.概要
北海道大学大学院先端生命科学研究院の中村公則教授と森永乳業の研究員らのグループは、産後数日時点の母親の腸内におけるαディフェンシン※3(腸内細菌叢※4の制御因子)の分泌量が多いことが、産後1か月時点における母親の良好な気分状態と関連することを示すとともに、妊娠中期におけるいくつかの食成分の摂取量が、産後数日時点のαディフェンシン分泌量と関連することを明らかにしました。
北海道岩見沢市の母親48名を妊娠中期から産後1か月まで経時的に追跡調査した本研究は、妊娠中の食事という母親自身の日々の行動が、腸管自然免疫の作用因子であるαディフェンシンの分泌に関わり、さらに腸内細菌叢を介して周産期の良好なメンタルヘルス形成につながる可能性を示す、新たな概念を提示するものです。
今後、妊産婦への栄養教育介入などを通じた実証的な検証が進むことで、地域社会と母親の双方にとって実施のハードルが低い、日常の食生活を通じたセルフケアによる周産期メンタルヘルス失調の予防的アプローチの確立につながることが期待されます。

本研究の概要図:妊娠中の食事と産後のαディフェンシン分泌量、腸内細菌叢、気分状態との関連
2.背景
近年、腸内細菌叢と私たちの脳機能や精神状態との間には「脳腸相関」と呼ばれる密接な関係が存在することが明らかとなっています。これまでに研究グループは、睡眠習慣に着目したヒト研究などを通じて、小腸のパネト細胞が分泌するαディフェンシンが腸内細菌叢のバランスを適切に制御することで、脳腸相関のコントロールに寄与することを明らかにしてきました。また、試験管モデルにおいて、いくつかの食成分がαディフェンシンの分泌を誘導することを報告しています。しかし、周産期におけるαディフェンシンの分泌動態と、母親の腸内細菌叢や気分状態との関係はこれまで明らかになっていませんでした。
そこで研究グループは、母親の日常の食事を通じたαディフェンシン分泌の増強が、腸内細菌叢の制御を介して周産期の良好なメンタルヘルス形成につながるのではないかという仮説を立て、北海道岩見沢市に在住する母子を対象とした縦断コホート研究「岩見沢母子健康調査(SMILE Iwamizawa)」に参加された母親を対象に検証を行いました。
3.研究手法
48名の母親から、妊娠中期(4~5か月)、産後数日(3~5日)、及び産後1か月に経時的に提供を受けた便検体を用いて、各時期の腸内細菌叢の組成を解析するとともに、ヒトのαディフェンシンであるHD5(human defensin 5)の便中濃度を測定しました。妊娠中期の食習慣に関する質問票の回答に基づいて、各食成分の摂取量を推定しました。また、その後のメンタルヘルス失調リスクとの関係が報告されている産後1か月時点の気分状態を、気分プロフィール検査(POMS2)を用いて評価しました。
4.研究成果
母親のαディフェンシン分泌量は、妊娠中期から産後数日にかけて有意に増加していました。 また、産後数日時点のαディフェンシン分泌量が多い母親ほど、産後1か月時点における混乱・当惑や緊張・不安などを含むネガティブな気分状態の程度が低い、すなわち良好な気分状態を示すという関連が見られました。
加えて、産後数日時点のαディフェンシン分泌量が多い母親では、産後1か月時点における、ネガティブな気分状態と関係するPeptostreptococcaceaeやParamuribaculumなどの腸内細菌群の存在量が少ないという関連が見られました。これらの結果から、産後数日時点のαディフェンシンが腸内細菌叢の制御を介して、産後1か月の良好な気分状態と関連することが示唆されました。
さらに、妊娠中期における動物性タンパク質やビタミンB群(ビタミンB2、ナイアシン)の摂取量が多いこと、反対にショ糖の摂取量が少ないことが、産後数日時点のαディフェンシン分泌量が多いことと関連していました。このことから、妊娠中の食事が産後のαディフェンシン分泌に関わる可能性が示唆されました。
5.今後への期待
本研究は、妊娠中の日常的な食生活の改善を起点とした、社会的・心理的負荷の比較的少ない母親自身のセルフケアによる周産期メンタルヘルス失調の予防的アプローチの確立に向けて、新たな可能性を示すものです。今後、妊産婦への栄養教育介入などによる実証的な検証や、αディフェンシンの分泌を効果的に誘導する食成分の探索・開発が進むことで、周産期の健全なメンタルヘルス形成と母子のウェルビーイング向上につながることが期待されます。
また、本研究で得られた知見は、妊娠中の適切な栄養摂取が産後の健康とどのように関わるかを考える上で、新たな示唆を与えます。今後、本研究成果をはじめとした妊娠・出産に関する様々なエビデンスを若い世代へ発信することで、プレコンセプションケア※5を通じて、自分らしいライフデザインを考えるための基盤づくりにつながることが期待されます。
<論文情報>
論文名:Higher postpartum α-defensin secretion is associated with diet during pregnancy and lower intensity of negative maternal mood
(産後の高いαディフェンシン分泌量は、妊娠中の食事および母親のネガティブな気分状態の程度が低いことと関連する)
著者名:清水由宇1,2,3、横井友樹1、大平修也1、和泉裕久2,3、川上智美2,3、田畑風華2,3,4、
中村浩彦2,3、武田安弘2,3、木村尚史4、中村幸志5、玉腰暁子4、綾部時芳1,3、中村公則1
(1北海道大学大学院先端生命科学研究院、2森永乳業株式会社研究本部、3北海道大学産学・地域協働推進機構、4北海道大学大学院医学院・医学研究院、5琉球大学大学院医学研究科)
雑誌名:npj Women's Health(女性の健康に関する国際的な学術誌)
DOI:10.1038/s44294-026-00164-5
公表日:2026年8月27日(木)(オンライン公開)
<用語解説>
※1 ヒトの腸内に生息するビフィズス菌(Human-Residential Bifidobacteria; HRB)
ビフィズス菌は、現在までに100種類以上発見されている。しかし、ヒトの腸内にすむビフィズス菌とヒト以外にすむビフィズス菌では、基本的に種類が異なり、森永乳業は特にヒトの腸内にすむビフィズス菌にこだわって研究開発を行っている。また当社は、ビフィズス菌の中でもヒトの腸内に特徴的に生息する種を「ヒト常在性ビフィズス菌(Human-Residential Bifidobacteria; HRB)」と命名。ヒトの腸内にすむビフィズス菌は、1500万年以上にわたり、ヒトの祖先と共に進化を遂げてきたことが示唆されている。こうした長い共進化の過程は、HRBがヒトの健康にとって極めて重要な役割を担ってきたことを示す一つの証拠だと考える。
※2 北海道大学センター・オブ・イノベーション(北大COI)
文部科学省と国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が実施する、産学官連携によって革新的なイノベーションの実現を目指す研究開発プログラム。北海道大学は平成27年より本プログラムに採択され、『食と健康の達人』拠点として、また令和3年からは共創の場形成支援プログラム『こころとカラダのライフデザイン』共創拠点として進めている。
※3 αディフェンシン
自然免疫の主要な作用因子である抗菌ペプチドで、消化管では小腸上皮細胞であるパネト細胞から、細菌や神経、食成分などの様々な刺激によってすみやかに腸管内腔に分泌される。分泌されたαディフェンシンは、病原体を排除するとともに、腸内細菌叢の組成を適切に制御することによって腸内環境の恒常性を保っている。αディフェンシンの分泌量が低下したり、質に異常が生じたりすると、腸内細菌叢のバランス破綻を介して、うつ病などの疾患や睡眠不足など、様々な健康上の問題に関係することが報告されている。
※4 腸内細菌叢
腸内細菌の集まりのこと。ヒトの小腸や大腸の内腔には1,000種類、40兆個にもおよぶ細菌が常在している。健常な腸内細菌叢を形成する共生菌は、その組成及び酪酸や酢酸などの短鎖脂肪酸をはじめとする代謝物の産生によって、ヒトの免疫や神経系などの恒常性を保っている。近年、dysbiosisと呼ばれる腸内細菌叢のバランス破綻が、肥満症、糖尿病、脂肪性肝炎、高血圧症などの生活習慣病や免疫疾患、アレルギー、さらにはうつ病、自閉症、認知症などの精神神経疾患など、様々な疾患に関係することが報告されている。
※5プレコンセプションケア
2015年に国立成育医療研究センターで行われた『プレコンセプションケアを考える会』において、日本におけるプレコンセプションケアを「前思春期から生殖可能年齢にあるすべての人々の身体的、心理的および社会的な健康の保持および増進」と定義することが提案されている。若い男女が自分の健康や性、妊娠、出産に関する正しい知識を持ち、将来のライフプランを考えながら、食事や運動などの日常生活を通じて心身の健康増進に取り組むことを指す。元々は将来的な妊娠を計画している女性を対象としていたが、現在は妊娠・出産を希望しない男女も含めた若者全体の生涯にわたるウェルビーイングを目指すアプローチへと発展している。









